カテゴリーアーカイブ: 03噴水
Parco delle Rimembranze
Vatican-2.Piazza San Pietro
アレクサンデル7世(1655-67)が教皇に選出される以前に、すでに彼とベルニーニの両者でコロンナートの構想をしていたと思われる。1656年、教皇は即位後間もなくベルニーニを招いて、彼及び建築委員会と大事業をいかに達成するかについて議論を開始した。
検討すべき多くの課題があった。ピアッツァ・レッタと呼ばれる、大聖堂ファサードの通路に挟まれた台形のスペースを残し、また前廊(ポルティコ)の北のヴァチカン宮殿への旧玄関口を残す必要があったヴァチカン宮殿の、教皇祝福が与えられる窓は、可能な限り群衆から見える必要があった。
また公式儀礼の際に、教皇が祝福「ローマ市と世界の信徒へ」を与えるのに使用する、大聖堂中央入口の上の祝福の開廊(ロッジア)も同様であった。このためベルニーニは、信者たちが全能の神の抱擁を受けるための場所として広場を取り囲まねばならないと考えた。柱廊は、抱擁する両腕の象徴となるべきであった。

2.祝福のロッジア
3.エジプトのオベリスク
4.ベルニーニの噴水
5.マデルノの噴水
1.コロンナート 1656-67
設計全体の幾何学的中心は広場中央のオベリスクで、噴水は場所を移動して対となる噴水を新たに造り、左右のバランスをとった。ベルニーニは、長く低い二つの通廊を大聖堂から張り出させて、ピアッツァ・レッタのスペースを狭くすることによって、マデルノ設計の大聖堂正面(両端で未完のまま放棄されているベルニーニの鐘塔の基部があるので、いっそう横幅が広がった)が与えた、左右の横幅ばかり大きくて高くないという印象を、きわめて巧妙になくしてしまった。さらにベルニーニは、円柱列回廊(コロンナート)に囲まれた広場を長径240mの楕円形にすることによって、その幅を実際よりも短く見えるようにした。この楕円は二つの完璧な円からなっており、オベリスクとそれぞれの噴水の間の円の中心から見ると、4列の柱が重なり1列に見える。
完成したのは1667年。
コロンナートは、石灰華の4列のドーリア式円柱284本と、一列に並ぶ巨大な天使群3.2m 140体を支える付柱からなる。
コロンナートの初期の構想案を示すメダル
ガスパーレ・モローネ・モーラ作
1657年8月に行われた柱廊の起工式を記念して鋳造された。表には、アレッサンドロ7世の肖像が表されている。柱廊の柱には対の二本柱が予定され、また広場の入口に第三の柱廊が構想されていたことがわかる。
4.ベルニーニの噴水
南側の噴水。北側の噴水(1613年カルロ・マデルノ作)をほぼ正確に模倣したもの。こちらが年代は新しいが、北側の噴水が柱廊で保護されているのに対し、北風をまともに受けるのでより古く見える。ベルニーニ作とする説を疑問視して、カルロ・フォンターナの作とする者もいる。
クレメンス9世の鷲の紋章のスケッチ
広場の正面玄関にあるとなっているが、不明
1668年
Istituto Nazionale per la Grafica所蔵