Collegiata di San Tommaso da Villanova
サン・トマーゾ大学

106-100
Parrocchiale a Castel Gandolfo カステロ・ガンドルフォのパロキエーレ(教区)教会でもある。


106-003S.トッマーゾの平面図設計建築 
17c中盤
ベルニーニによって17世紀中盤に建てられたもので、内部にはコルトーナやラッジの作品がある。
内部は、古典的な十字形構成の中、内部空間の垂直性が増し、ドームは強調される。8つの大きなメダイヨンがプットーたちに支えられ、花飾りで結ばれる。表現は抑制されながらも、劇性への追求が感じられる。


106-101106-102106-103106-104


クーポラのスタッコの内部などは、アントニオ・ラッジのデザイン
これらの初期のデザインもラッジの手になる部分が多いのか?
106-007S.トッマーゾのクーポラ106-110


106-008サン・トッマーゾ・祭壇106-111106-112


106-00912使徒の像12使徒の像 Statuette dei dodici Apostli 1660
IN VATICANO P274-277


106-113


106-010懺悔室懺悔室 Confessionale

Collegiata di Santa Maria Assunta
サンタ・マリア・アッスンタ大学

104-100


104-004最初の構想図設計建築
古代ローマのパンテオンに依拠した円形平面のこの教会は、アーチの並ぶ低層部分の上にドラムもなく直接に半球形ドームを載せたきわめて単純な形態を示している。
内部はドームが空間のクライマックスを演じており、賑やかなプットーや天使たちがドームのリブ間に掛け渡された花飾りを携えている。この教会は聖母マリアの被昇天に捧げられており、伝承によれば、その日、歓喜する天使たちは花をまいて祝ったという。つまりこの教会全体が、聖母被昇天の神秘劇をとり行う劇場空間に変容しているのである。
104-003S.M.スンツィオーネ教会の間取り図104-102


104-103104-002S.M.デッラ・スンツィオーネ教会のクーポラ

Basilica di Santa Francesca Romana(Santa Maria Nova)
S.F.ロマーナ教会

067-1009:30~12:00、16:00~18:00


2007.2月工事中ではいれず。

1649年、多色大理石で造られた広い遺骨納室

フランチェスカの墓はローマ教皇ウルバーノVIII Barberiniの認可のために別の時間4月2日のnd 1638のために再開されました。
身体の第2の発明、それは再び服を着せられた、献身者のある程度のスーツ、必要、新しい礼拝堂maiorをS.マリア新星中の神聖なものに敬意を表して構築することができるために作られました。
僧は、ベルニーニにその実行を任せました、それは1649年に素晴らしい告白を劇場の形式への結論にもたらしました。
中心に、それは、熟考、胸(オープン・ブックを持った天使の固定外観)の上の反対の手でフランチェスカの彫像でした。
したがって、箱舟は、Innocenzo X(女性アガサPamphili)の姉妹から与えられて、金めっきのブロンズの大きなつぼを入れました、小さい岩山deのoblata」ミラー。
http://www.tordespecchi.it/public/index.php?Storia:Venerazione_e_culto

Basilica di Sant’Agostino in Campo Marzio
サンタ・アゴスティーノ教会

042-100
Piazza di Sant’Agostino Roma, Italia
+39 06 6880 1962
8:30~12:00、16:00~18:30
アンジェリーカ図書館は裏にある?

聖アウグスティヌスに捧げられたこの教会は、1483年に後期わずか4年でG.ダ・ピエトロサンタが完成したもので、ローマにおける初期ルネッサンス様式の教会建築の好例である。内部は18,19世紀の改修でルネッサンスの雰囲気はあまり残っていない。内部の側廊の天井だけが、青星でミネルヴァのよう。20の柱の「出産の聖母」ヤコポ・サンソヴィーノの像と「預言者イザヤ」ラファエッロのフレスコ画、18の礼拝堂の「巡礼の聖母」カラヴァッジョは有名。



042-004Sアゴスティーノ見取り図3.Chapel of St.Catherine
4.Chapel of St.Joseph
5.Chapel of St.Rita
6.Chapel of St.Peter
7.Chapel of St.the Crucifix
8.Chapel of St.Augustine
9.Chapel of St.Nicholas of Tolentine
10.Main aitar
11.Chapel of St.Monica
12.Chapel of St.William
13.Chapel of St.Thomas of Villanova
14.Chapel of St.John and St.Fecundus
15.Chapel of St.Apollonia
16.Chapel of St.Claire of Montefalco
17.Pius’ Chapel
18.Chapel of Our Lady of Loreto
19.Our Lady of Stone(or of Childbirth)

20.St.Anne and Isaiah the Profhet
21.Sacristy
22.Organ



042-10110.主祭壇
天使像のデザイン
トッリアーニの主祭壇は、ベルニーニの素描に基づく1628年制作の天使像2体と、ビザンティン様式の聖母子画を戴く。
042-005Sアゴスティーノ天使像042-003ピオ礼拝堂の祭壇の天使




17.ピオ礼拝堂
042-011アゴスティーノ6042-010アゴスティーノ5

042-008アゴスティーノ3042-106

Chiesa del Gesù – Il Gesù
イル・ジェズ教会

041-1006:00~12:30,16:00~19:00

16世紀の後半に、ファルネーゼ枢機卿がイエズス会の母教会として創建した。ヴィニョーラが設計し、ジャコモ・デッラ・ポルタが完成させた盛期ルネッサンス建築。内部はヴィニョーラのプランどおりに完成され、その後バロック時代に壁面や天井を装飾した。
ベルニーニが通った教会である。



041-002ジェズ教会見取り図

041-005ジェズ1ベルラルミーノ枢機卿の記念碑
Monument to Cardinal Roberto Bellarmine
モントーヤの肖像と並ぶ初期肖像の代表作
ベルニーニは40年間イエズス会の総本山ジェズに出かけて善き死(ヴォナ・モルテ)同信会が主催して毎週金曜日に行われた祈とうに参加し、また週に一度は聖体を拝受したのである。この善き死同信会というのは1648年に創設された信者の集まりだが、これが組織された背景には、1620年に出版されたイエズス会の総長を務め神学者としても名高かったベルラルミーノの著書「善く死する術について」の影響があるといわれる。
BERNINI p218


041-101041-004ロベルト・ベラマイン枢機卿の記念碑041-102




041-008ジェズ天井画2天井画「イエスの御名の勝利」 
1679 弟子のジョヴァンニ・ヴァティスタ・ガヴァッリの作

身廊の床に鏡をおいて見せている。041-003ジェズ聖堂の天井画

Basilica di Santa Maria sopra Minerva
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会

040-1008:00~19:00

昔のミネルヴァ神殿の上に立てられたこの教会はドミニコ会に属し、1280年頃に再建された、ローマで例外的なゴシック建築である。シエナのカテリーナの遺骸が主祭壇下の石棺に安置されている。



http://www.basilicaminerva.it/visita/visita.htm
040-002SMソプラミネルバ図


3.Cappella del Fonte Battesimale
040-1013.ヴァージニア・プッチ-リドルフィの記念碑
Memorial bust of Virginia Pucci-Ridolfi
3.とは言い難い、入り口入ってすぐ右手の壁にある。

040-011SMミネルヴァ1040-009ヴァージニア・プッチ-リドルフィの記念碑




26.Monumento di Suor Maria Raggi
040-003マリア・ラッジの墓26.マリア・ラッジの墓
1643
左身廊奥から2番目の柱にマリア・ラッジの墓.彼はこの墓を設計するのに、通常の墓に用いられる建築的構造を拒否し、柱にまず垂れ幕をつけ、その幕の上でマリア・ラッジを表したメダイヨンをプットーが支え持つという趣向を用いた。マリア・ラッジは臨終の床で十字のしるしを求め、「主イエスよ、私の魂をお受けください」と言って、3度イエスの名を口にして静かに息を引き取ったと伝記は伝えている。ベルニーニはこの臨終の場面を表そうとしたと考えられ、メダイヨンに描かれた修道女は胸に手を当てて、最後の言葉を口にしているかのようだ。そしてあたかも彼女の幻視であるかのような十字架が現れ、それが垂れ幕を柱につなぎ止めている。この垂れ幕が風にたなびいているのは、死が人を吹き去ることを象徴したものと解釈されている。この作品も弟子の手で仕上げられたものだが、その水準は非情に高い。

Disegno per la memoria a Suor Maria Raggi 1645 :ヴァチカン美術館所蔵

Disegno per la memoria a Suor Maria Raggi 1645
:ヴァチカン美術館所蔵

Medaglione per la memoria di Suor Maria Raggi:ヴァチカン美術館所蔵

Medaglione per la memoria di Suor Maria Raggi:ヴァチカン美術館所蔵

ことに黒大理石の布に黄色の石を用いてふちをとり、メダイヨンとプットーには鍍金を施したブロンズを用いるという、ベルニーニ一流の技法の混用と色彩主義は驚くべき成功を収めている。そして石で表現されたたなびく布の質感は、素材を自分のアイディアに従わせようとする、彼の異常なまでの執念を感じさせる。小さいが独創性に富む、忘れがたい墓だ。この作品はつい最近まで、その銘文から1643年に制作されたと考えられてきたが、ごく最近の研究によって、1647年から53年の間の作であることが判明している。その超越的、神秘的「着想」と表現の点から見ても、このより遅い年代が妥当であろう。




30.Sepolcro di Giovanni Vigevano
040-006ヴィジェーヴァノの胸像30.ヴィジェーヴァノの胸像 Giovanni Vigevano

040-005ヴィジェーヴァノの胸像040-102




22-A)Sala dei Papi
040-10322-A.未完の母子像
Large unfinished statue (The Virgin and Child)
attributed to Gian Lorenzo Bernini
非公開




325-002ドメニコ・ピメンテル枢機卿の墓ドメニコ・ピメンテル枢機卿の墓
Progetto per la tomba del cardinale Domenico Pimentel
モーガン・ライブラリー所蔵




040-013SMミネルヴァ3どこの天井だったか、要確認

Basilica di Santa Maria in Via Lata
サンタ・マリア・イン・ヴィア・ラータ教会

034-1049:20~11:30,17:00~22:40
無休

非情に古い教会であり、17世紀までに何度か改修されていた。1636年から43年にかけてベルニーニが主祭壇と内陣を設計し、コジモ・ファンツァーゴが身廊を大理石の象眼で装飾し直した。その後、ピエトロ・ダ・コルトーナが1658年から63年に美しいファサードを造った。明確に分離された玄関のポルティコとその上のロッジアという列柱廊が二つ積み重なったファサードは、付け柱で構成される他の多くの教会のファサードとは、その際だった透明性によって全く異なる。地下にはもとの教会跡もあって見学できる。





034-02主祭壇のスケッチ主祭壇と内陣の設計
1636-43

このスケッチは、N.Y.のプライベート・コレクション Lavin 1980


034-100034-102

Basilica di Santa Maria in Aracoeli
サンタ・マリア・ダラコエリ教会

032-1008:00~12:00、15:30~17:30(日没)

キリスト教の伝説によれば、アウグストゥス帝はある日ここで幼子を腕に抱く聖母を見、さらにキリストの到来を予告し、ここにやがて「神の子の祭壇」(アラ・コエリ)が建つだろうという巫女のお告げを聞いたとされる。この伝説に基づいて建てられたこの教会は、7世紀にはすでにここに存在し、1300年代の初めに建て直された。今もこの当時のゴシック様式のファサードを残している。



032-1012つとも、入り口入って右、25の側の入り口上部壁面にある。032-103


032-104




032-009ウルビーノが教皇に返り咲いた記念碑1.ウルビーノが教皇に返り咲いた記念碑
壁の上部、巨大。
デザインだけで制作はしていない。
所蔵不明032-010アラコエリ1




032-006カルロ・バルベリーニの記念碑2.カルロ・バルベリーニの記念碑
壁の上部。1.同様巨大。

フォグ美術館所蔵

フォグ美術館所蔵

ビルデンデン美術館所蔵

ビルデンデン美術館所蔵






314-008カルロ・バルベリーニのカタファルコカルロ・バルベリーニのカタファルコ
ウインザー城にある


313-002ボーフォール公爵のカタファルコボーフォール公爵のためのカタファルコ Catafalco del duca di Beaufort  
銅版画 1669年に行われた。
ロンドン、ブリティッシュ・ミュージアムにある
1669年


032ボーフォール公爵のカタファルコ2incisione su disegno di M.de Rossi
所蔵不明

Basilica di Santa Maria Maggiore
サンタ・マリア・マッジョーレ教会

028-101028-1009:00~18:50(12:30~16:30は礼拝堂は閉館かもしれない)
無休

S.ピエトロ、S.ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ、S.パオロ・フオーリ・レ・ムーラとともにローマの4大聖堂の一つで、敷き地はヴァティカン市国に属している。431年エフェソスの公会議で「聖母信仰」を公認したのを記念して、法皇シクストゥス3世が建立を命じた。
たび重なる修復や改築で、15世紀の鐘楼、18世紀のファサード(正面)、バロック様式のアプシス(後陣)、13世紀のモザイク、と部分によってできた時代も様式も様々だが全体としてのバランスをよく保っている。内部はクラッシックなバジリカ様式を残し、類まれな調和と荘厳さに満ちている。





所蔵不明

所蔵不明

後陣の改修 
クレメンス9世の短い治世の間に、サンタ・マリア・マッジョーレの後陣を拡張して、そこに教皇の廟を作るという企画も検討された。このためにベルニーニはいくつかのプランを立てて教皇と協議しているが、幸か不幸か、この企画は教皇の死によって中止されてしまう。
クレメンス9世の写真集に詳しくp278


028-005S.M.マジョーレ教会の後陣338-01SMマジョーレの改修案



028-012SMマジョーレ見取り図2.ポーチ
6.スフォルツア礼拝堂 Sforza chapel
7.ボルゲーゼ礼拝堂 Borghese chapel
 (パオリーナ礼拝堂)
8.ベルニーニの墓
10.システィーナ礼拝堂 Sistine chapel
12.洗礼堂 battistero
16.教会美術館


028-103内部
中央廊は36本の大理石の柱で仕切られ列注上部の5世紀のモザイクは、身廊の前方端祭壇上方のアーチに描かれたモザイクとともに同教会の貴重な宝だ。一方、アプシスのモザイクば13世紀末の、当時ローマで名高かったヤコポ・トッリティの作で、ビザンチン様式を離れ、より優美で色彩に満ちたローマ・モザイクの代表作の一つといってよい。モザイクの下のレリーフはルネッサンス時代のものである。主祭壇はフェルディナンド・フーガ作の天蓋で覆われ、祭壇下には同教会の最も貴重な聖遺物、キリスト誕生の際の、かいば桶の木片が収められている。


028-1042.ポーチ
入って右手にあるのは、バジリカの後援者であるスペイン人のフィリッポⅣ世の像である。
この部分の図面 ジローラモ・LUCENTIの彫刻 13世紀
これは、ベルニーニが設計し、13世紀に ことの顛末が不明。
028-010スペイン人の墓「スペイン人の墓の構想案」
これのことだろうか?
所蔵不明




028-1076.スフォルツァ礼拝堂 Chapel Sforza
また同じく左側廊のスフォルツァ礼拝堂はジャコモ・デッラ・ボルタの作だが、もとの設計はミケランジェロが手掛けたと言われる。




Santa Maria Maggiore-Sforza Chapel by Michelangelo7.ボルゲーゼ礼拝堂 パオリーナ礼拝堂 Chapel Borghese
システィーナ礼拝堂の向かい、左側の側廊にはパオリーナ礼拝堂がある。1606年、フラミニオ・ボンツォがパオロ・V.ボルゲーゼの注文に応じて作ったものだ。貴石で飾られた見事な祭壇と共に、16世紀のグイド・レーニのフレスコ画も見逃せない。祭壇の「聖母子像」は11世紀頃のものと思われる。


028-007クレメンス7世の即位式クレメンス7世の即位式Incoronazione di Clemente Ⅶ
1611 ピエトロの作
礼拝堂、入って右の壁がこの作品。
S.M.マジョーレのパンフレットでは、クレメンスⅧ となっている。
どっちだ?

左は、パオロ5世のモニュメント。

028-109028-108



028-013SMマジョーレ墓28.ベルニーニ家の墓Tomb 
主祭壇右床  
1680年11月28日、82歳の誕生日まで後9日であった。15日間病の床につき、最後に教皇の特使から教皇の祝福を受けて、9人の子供(5人の娘、4人の息子、うち一人は、S.M.マジョーレの聖職者であった)に見守られて息をひきとる。彼の遺体はサンタ・マリア・マッジョーレに安置され、多くの人々の告別の訪問を受けてから、同教会の一族の墓に納められた。この一族の墓は今日も教会に残るが、ベルニーニ個人の墓碑はない。028-012SMマジョーレ墓1主祭檀右側の、手すりのすぐ外側の床には、簡潔なデザインの大理石の墓石がはめ込まれていて、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)の名前がラテン語で記されている。バロック最大の芸術家ベルニーニの墓は、意外なほどシンプルだ。
「高貴なベルニーニ家の復活を待つ」




028-11010.システィーナ礼拝堂
主祭壇寄りの右側廊には、ドメニコ・フォンターナか教皇シクストゥス5世のために造ったシスティーナ札拝堂(1585年)がある。金色の小さな聖堂の形をした聖体用祭檀の下には、「聖霊降誕の小礼拝堂」があるのだが、これは13世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが新しくし、元は別の所にあったのをフォンターナがここに持ってきたのである。




12.洗礼堂 battistero028-106
 

 
028-008聖母被昇天 「聖母被昇天」Assunta
ピエトロの作 1610
洗礼堂のまっすぐ奥の壁にある。
聖女を天に導くプットーの部分にベルニーニが手を入れた




場所不明
028-014墓の紋章Tomba di Assalonne Rospigliosi
1665


パピの間 Salone dei Papi028-111
場所が不明、洗礼堂の右か?側廊2Fか? 
 

 

S.M.マジョーレ所蔵

S.M.マジョーレ所蔵

 「パオロ5世の胸像」Busto di PaoloⅤ Borghese
未確認




028-011パウロ5世のカタファルコパウロ5世のカタファルコ 
1622年に行われたパウロ5世の葬儀の様子。
ベルニーニが彫刻と建築を一体にした初めての作品。左下に立つ一群の中に、騎士の胸飾りと儀式用の剣をつけたベルニーニの姿が見える。
簡便な素材で、たった40日で建設されたこの作品は、16体の美徳像と20体の天使像で飾られていた。
所蔵不明


028マッティのカタファルコMuzio Matteiのカタファルコ
1668年
Gabinetto Comunale delle Stampe
所蔵不明


028ヴィラのカタファルコFeancesco Villaのカタファルコ
1669年
Gabinetto Comunale delle Stampe
所蔵不明