カテゴリーアーカイブ: インテリア
Cattedrale di Santa Maria Assunta (Duomo)
Collegiata di San Tommaso da Villanova
サン・トマーゾ大学
Parrocchiale a Castel Gandolfo カステロ・ガンドルフォのパロキエーレ(教区)教会でもある。
設計建築
17c中盤
ベルニーニによって17世紀中盤に建てられたもので、内部にはコルトーナやラッジの作品がある。
内部は、古典的な十字形構成の中、内部空間の垂直性が増し、ドームは強調される。8つの大きなメダイヨンがプットーたちに支えられ、花飾りで結ばれる。表現は抑制されながらも、劇性への追求が感じられる。
クーポラのスタッコの内部などは、アントニオ・ラッジのデザイン
これらの初期のデザインもラッジの手になる部分が多いのか?
12使徒の像 Statuette dei dodici Apostli 1660
IN VATICANO P274-277
懺悔室 Confessionale
Collegiata di Santa Maria Assunta
サンタ・マリア・アッスンタ大学
Basilica di Santa Francesca Romana(Santa Maria Nova)
S.F.ロマーナ教会
9:30~12:00、16:00~18:00
2007.2月工事中ではいれず。
1649年、多色大理石で造られた広い遺骨納室
フランチェスカの墓はローマ教皇ウルバーノVIII Barberiniの認可のために別の時間4月2日のnd 1638のために再開されました。
身体の第2の発明、それは再び服を着せられた、献身者のある程度のスーツ、必要、新しい礼拝堂maiorをS.マリア新星中の神聖なものに敬意を表して構築することができるために作られました。
僧は、ベルニーニにその実行を任せました、それは1649年に素晴らしい告白を劇場の形式への結論にもたらしました。
中心に、それは、熟考、胸(オープン・ブックを持った天使の固定外観)の上の反対の手でフランチェスカの彫像でした。
したがって、箱舟は、Innocenzo X(女性アガサPamphili)の姉妹から与えられて、金めっきのブロンズの大きなつぼを入れました、小さい岩山deのoblata」ミラー。
http://www.tordespecchi.it/public/index.php?Storia:Venerazione_e_culto
Basilica di Sant’Agostino in Campo Marzio
サンタ・アゴスティーノ教会
Piazza di Sant’Agostino Roma, Italia
+39 06 6880 1962
8:30~12:00、16:00~18:30
アンジェリーカ図書館は裏にある?
聖アウグスティヌスに捧げられたこの教会は、1483年に後期わずか4年でG.ダ・ピエトロサンタが完成したもので、ローマにおける初期ルネッサンス様式の教会建築の好例である。内部は18,19世紀の改修でルネッサンスの雰囲気はあまり残っていない。内部の側廊の天井だけが、青星でミネルヴァのよう。20の柱の「出産の聖母」ヤコポ・サンソヴィーノの像と「預言者イザヤ」ラファエッロのフレスコ画、18の礼拝堂の「巡礼の聖母」カラヴァッジョは有名。
3.Chapel of St.Catherine
4.Chapel of St.Joseph
5.Chapel of St.Rita
6.Chapel of St.Peter
7.Chapel of St.the Crucifix
8.Chapel of St.Augustine
9.Chapel of St.Nicholas of Tolentine
10.Main aitar
11.Chapel of St.Monica
12.Chapel of St.William
13.Chapel of St.Thomas of Villanova
14.Chapel of St.John and St.Fecundus
15.Chapel of St.Apollonia
16.Chapel of St.Claire of Montefalco
17.Pius’ Chapel
18.Chapel of Our Lady of Loreto
19.Our Lady of Stone(or of Childbirth)
21.Sacristy
22.Organ
10.主祭壇
天使像のデザイン
トッリアーニの主祭壇は、ベルニーニの素描に基づく1628年制作の天使像2体と、ビザンティン様式の聖母子画を戴く。
17.ピオ礼拝堂
Chiesa del Gesù – Il Gesù
イル・ジェズ教会
16世紀の後半に、ファルネーゼ枢機卿がイエズス会の母教会として創建した。ヴィニョーラが設計し、ジャコモ・デッラ・ポルタが完成させた盛期ルネッサンス建築。内部はヴィニョーラのプランどおりに完成され、その後バロック時代に壁面や天井を装飾した。
ベルニーニが通った教会である。
ベルラルミーノ枢機卿の記念碑
Monument to Cardinal Roberto Bellarmine
モントーヤの肖像と並ぶ初期肖像の代表作
ベルニーニは40年間イエズス会の総本山ジェズに出かけて善き死(ヴォナ・モルテ)同信会が主催して毎週金曜日に行われた祈とうに参加し、また週に一度は聖体を拝受したのである。この善き死同信会というのは1648年に創設された信者の集まりだが、これが組織された背景には、1620年に出版されたイエズス会の総長を務め神学者としても名高かったベルラルミーノの著書「善く死する術について」の影響があるといわれる。
BERNINI p218
天井画「イエスの御名の勝利」
1679 弟子のジョヴァンニ・ヴァティスタ・ガヴァッリの作
Basilica di Santa Maria sopra Minerva
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会
昔のミネルヴァ神殿の上に立てられたこの教会はドミニコ会に属し、1280年頃に再建された、ローマで例外的なゴシック建築である。シエナのカテリーナの遺骸が主祭壇下の石棺に安置されている。
http://www.basilicaminerva.it/visita/visita.htm
3.Cappella del Fonte Battesimale
3.ヴァージニア・プッチ-リドルフィの記念碑
Memorial bust of Virginia Pucci-Ridolfi
3.とは言い難い、入り口入ってすぐ右手の壁にある。
26.Monumento di Suor Maria Raggi
26.マリア・ラッジの墓
1643
左身廊奥から2番目の柱にマリア・ラッジの墓.彼はこの墓を設計するのに、通常の墓に用いられる建築的構造を拒否し、柱にまず垂れ幕をつけ、その幕の上でマリア・ラッジを表したメダイヨンをプットーが支え持つという趣向を用いた。マリア・ラッジは臨終の床で十字のしるしを求め、「主イエスよ、私の魂をお受けください」と言って、3度イエスの名を口にして静かに息を引き取ったと伝記は伝えている。ベルニーニはこの臨終の場面を表そうとしたと考えられ、メダイヨンに描かれた修道女は胸に手を当てて、最後の言葉を口にしているかのようだ。そしてあたかも彼女の幻視であるかのような十字架が現れ、それが垂れ幕を柱につなぎ止めている。この垂れ幕が風にたなびいているのは、死が人を吹き去ることを象徴したものと解釈されている。この作品も弟子の手で仕上げられたものだが、その水準は非情に高い。
30.Sepolcro di Giovanni Vigevano

22-A)Sala dei Papi
22-A.未完の母子像
Large unfinished statue (The Virgin and Child)
attributed to Gian Lorenzo Bernini
非公開
ドメニコ・ピメンテル枢機卿の墓
Progetto per la tomba del cardinale Domenico Pimentel
モーガン・ライブラリー所蔵
どこの天井だったか、要確認
Basilica di Santa Maria in Via Lata
サンタ・マリア・イン・ヴィア・ラータ教会
非情に古い教会であり、17世紀までに何度か改修されていた。1636年から43年にかけてベルニーニが主祭壇と内陣を設計し、コジモ・ファンツァーゴが身廊を大理石の象眼で装飾し直した。その後、ピエトロ・ダ・コルトーナが1658年から63年に美しいファサードを造った。明確に分離された玄関のポルティコとその上のロッジアという列柱廊が二つ積み重なったファサードは、付け柱で構成される他の多くの教会のファサードとは、その際だった透明性によって全く異なる。地下にはもとの教会跡もあって見学できる。
Basilica di Santa Maria in Aracoeli
サンタ・マリア・ダラコエリ教会
キリスト教の伝説によれば、アウグストゥス帝はある日ここで幼子を腕に抱く聖母を見、さらにキリストの到来を予告し、ここにやがて「神の子の祭壇」(アラ・コエリ)が建つだろうという巫女のお告げを聞いたとされる。この伝説に基づいて建てられたこの教会は、7世紀にはすでにここに存在し、1300年代の初めに建て直された。今もこの当時のゴシック様式のファサードを残している。
2つとも、入り口入って右、25の側の入り口上部壁面にある。
1.ウルビーノが教皇に返り咲いた記念碑
壁の上部、巨大。
デザインだけで制作はしていない。
所蔵不明
2.カルロ・バルベリーニの記念碑
壁の上部。1.同様巨大。

ウインザー城にある

銅版画 1669年に行われた。
ロンドン、ブリティッシュ・ミュージアムにある
1669年

所蔵不明
Basilica di Santa Maria Maggiore
サンタ・マリア・マッジョーレ教会
9:00~18:50(12:30~16:30は礼拝堂は閉館かもしれない)
無休
S.ピエトロ、S.ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ、S.パオロ・フオーリ・レ・ムーラとともにローマの4大聖堂の一つで、敷き地はヴァティカン市国に属している。431年エフェソスの公会議で「聖母信仰」を公認したのを記念して、法皇シクストゥス3世が建立を命じた。
たび重なる修復や改築で、15世紀の鐘楼、18世紀のファサード(正面)、バロック様式のアプシス(後陣)、13世紀のモザイク、と部分によってできた時代も様式も様々だが全体としてのバランスをよく保っている。内部はクラッシックなバジリカ様式を残し、類まれな調和と荘厳さに満ちている。
クレメンス9世の短い治世の間に、サンタ・マリア・マッジョーレの後陣を拡張して、そこに教皇の廟を作るという企画も検討された。このためにベルニーニはいくつかのプランを立てて教皇と協議しているが、幸か不幸か、この企画は教皇の死によって中止されてしまう。
クレメンス9世の写真集に詳しくp278



6.スフォルツア礼拝堂 Sforza chapel
7.ボルゲーゼ礼拝堂 Borghese chapel
(パオリーナ礼拝堂)
8.ベルニーニの墓
10.システィーナ礼拝堂 Sistine chapel
12.洗礼堂 battistero
16.教会美術館

中央廊は36本の大理石の柱で仕切られ列注上部の5世紀のモザイクは、身廊の前方端祭壇上方のアーチに描かれたモザイクとともに同教会の貴重な宝だ。一方、アプシスのモザイクば13世紀末の、当時ローマで名高かったヤコポ・トッリティの作で、ビザンチン様式を離れ、より優美で色彩に満ちたローマ・モザイクの代表作の一つといってよい。モザイクの下のレリーフはルネッサンス時代のものである。主祭壇はフェルディナンド・フーガ作の天蓋で覆われ、祭壇下には同教会の最も貴重な聖遺物、キリスト誕生の際の、かいば桶の木片が収められている。

入って右手にあるのは、バジリカの後援者であるスペイン人のフィリッポⅣ世の像である。
この部分の図面 ジローラモ・LUCENTIの彫刻 13世紀
これは、ベルニーニが設計し、13世紀に ことの顛末が不明。

これのことだろうか?
所蔵不明

また同じく左側廊のスフォルツァ礼拝堂はジャコモ・デッラ・ボルタの作だが、もとの設計はミケランジェロが手掛けたと言われる。

システィーナ礼拝堂の向かい、左側の側廊にはパオリーナ礼拝堂がある。1606年、フラミニオ・ボンツォがパオロ・V.ボルゲーゼの注文に応じて作ったものだ。貴石で飾られた見事な祭壇と共に、16世紀のグイド・レーニのフレスコ画も見逃せない。祭壇の「聖母子像」は11世紀頃のものと思われる。

1611 ピエトロの作
礼拝堂、入って右の壁がこの作品。
S.M.マジョーレのパンフレットでは、クレメンスⅧ となっている。
どっちだ?
左は、パオロ5世のモニュメント。
8.ベルニーニ家の墓Tomb
主祭壇右床
1680年11月28日、82歳の誕生日まで後9日であった。15日間病の床につき、最後に教皇の特使から教皇の祝福を受けて、9人の子供(5人の娘、4人の息子、うち一人は、S.M.マジョーレの聖職者であった)に見守られて息をひきとる。彼の遺体はサンタ・マリア・マッジョーレに安置され、多くの人々の告別の訪問を受けてから、同教会の一族の墓に納められた。この一族の墓は今日も教会に残るが、ベルニーニ個人の墓碑はない。主祭檀右側の、手すりのすぐ外側の床には、簡潔なデザインの大理石の墓石がはめ込まれていて、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)の名前がラテン語で記されている。バロック最大の芸術家ベルニーニの墓は、意外なほどシンプルだ。
「高貴なベルニーニ家の復活を待つ」
10.システィーナ礼拝堂
主祭壇寄りの右側廊には、ドメニコ・フォンターナか教皇シクストゥス5世のために造ったシスティーナ札拝堂(1585年)がある。金色の小さな聖堂の形をした聖体用祭檀の下には、「聖霊降誕の小礼拝堂」があるのだが、これは13世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが新しくし、元は別の所にあったのをフォンターナがここに持ってきたのである。
12.洗礼堂 battistero
「聖母被昇天」Assunta
ピエトロの作 1610
洗礼堂のまっすぐ奥の壁にある。
聖女を天に導くプットーの部分にベルニーニが手を入れた
場所不明
Tomba di Assalonne Rospigliosi
1665
パピの間 Salone dei Papi
場所が不明、洗礼堂の右か?側廊2Fか?
「パオロ5世の胸像」Busto di PaoloⅤ Borghese
未確認

1622年に行われたパウロ5世の葬儀の様子。
ベルニーニが彫刻と建築を一体にした初めての作品。左下に立つ一群の中に、騎士の胸飾りと儀式用の剣をつけたベルニーニの姿が見える。
簡便な素材で、たった40日で建設されたこの作品は、16体の美徳像と20体の天使像で飾られていた。
所蔵不明

1668年
Gabinetto Comunale delle Stampe
所蔵不明

1669年
Gabinetto Comunale delle Stampe
所蔵不明