Chiesa di Santa Maria della Vittoria
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会

024-1007:00~12:00、15:30~19:00
http://www.chiesasantamariavittoriaroma.it/default.aspx

1608年にボルゲーゼ枢機卿の命を受け、カルロ・マデルノの設計により聖パウロに捧げられ創建した。1622年に新旧教徒間の戦いである三十年戦争の最中プラハの郊外の戦いで、カトリック教徒側が聖母マリアのイコンを持って闘ったところ奇跡的にもプロテスタント側を破ることができ、この勝利を記念し、そのイコンを納めるために、教会の名を「勝利の聖母マリア」とした。



024-101コルナーロ礼拝堂cappella cornaro
バルディヌッチは、ベルニーニは辛い時期にも平静に暮し、熱心に仕事をして偉大な作品を制作した、と記しているが、我々はこの言葉を素直に受けとることができる。なぜならベルニーニの最高の傑作の一つ、サンタ・マリア・デルラ・ヴィットーリアのコルナーロ礼拝堂の装飾は、第一線から退けられたこの苦難の時期になされているからである。すでに述べたとおり、彼はウルバヌス8世時代に礼拝堂の装飾を少なからず手がけているが、それらはすべて、ベルニーニの設計に基づいて弟子たちが制作に当たるという形で進められてきた。しかしイノケンティウス10世の即位で公的仕事を断たれた今、ベルニーニは自らこの種の仕事に携わる余裕ができたのである。
 ヴェネッィアの名家の一つコルナーロ家出身のフェデリーコ・コルナーロは、ヴェネッィアの大司教をしていたが、晩年職を退いてローマに移っていた。1647年に彼は、好意を寄せていたアヴィラの聖女テレサが創設した跣足カルメル会の教会、サンタ・マリア・デルラ・ヴィットーリアの左翼廊部の権利を取得する。そしてそこを自分の墓所と定めた彼は、その装飾をベルニーニに依頼したのである。この翼廊部の礼拝堂は、幅に比して奥行きがなく、そのうえ教会全体との調和を計らなけれぱならなかったから、ベルニーニに与えられた条件は決してよくはなかった。しかし彼は、いくつかの不利な条件を克服して、彼の理想とする総合美術の理念を見事に実現するのである。
次に、非常に重要なこととして、ベルニーニがこの礼拝堂を作るに当たってさまざまな石材を吟味し、その質感と色彩の効果を存分に生かしている点が指摘できる。バロックの内部装飾の魅力の一つは、その石材の多様な美しさにある(初めて見た者は少々戸惑いを感じるかもしれない)が、ベルニーニはここで石材に対する熟達した知識と、それを用いる優れた感覚を示している。とりわけ柱に用いられた緑の石(円柱がブレッチャ・アフリカーナ、角柱がヴェルデ・アンティーコ)は美しく、白い大理石の彫刻を引き立たせる役割をしている。それは、彫刻における色彩の間題を考え続けたベルニーニならではの演出といえよう。さらに、ここでは詳しく論じないが、この礼拝堂の装飾全体が神学的プログラムをもって構成されていることが、最近詳細な研究によって明らかにされている。そして最後にもう一点、コルナーロ家の人々がいる伐敷の背景には建物の内部が浮彫で描かれているが、それらはある地点から見ると、あたかも実際の建物と連続するかのように見える点を指摘しておきたい。ベルニーニが彫刻を制作するに当たって単一的視点を設定したことは再三述べたが、ここでは描かれた建物と実際の礼拝堂とが遠近法的に合致する点こそ、作品を見るべき点なのである。実際この地点に立つと、礼拝堂全体を一目で見渡すこ とができ、したがってその内容を最もよく理解することができる。

天井のデッサン:マドリッド国立図書館所蔵

天井のデッサン:マドリッド国立図書館所蔵

このようにコルナーロ礼拝堂の装飾には、これまでベルニーニが行ってきたさまざまな試みが最も完成した形で総合されている。この場合もその根本となるのは、ライモンディ礼拝堂の時に論じたように、演劇と祝祭の体験であり、またその延長上にある彫刻を中心とする総合的視覚芸術の概念である。このことはいくら強調してもしすぎることはないであろう。つまり、主祭壇を飾る《聖女テレサの法悦》はあまりに有名たが、ベルニーニの関心はこれを含む礼拝堂全体の統一性にあったのである。この礼拝堂において、我々は「劇中劇」の観客として現実と虚構の境を見失い、同時にイリュージョンの中で建築と彫刻、ストウッコと絵画とがたがいに融合して、「美しい融合体」が形成されているのを認めるであろう。そこでは天と地と、生と死と、霊と肉体と、そして現実と幻想とが渾然となって我々を神秘的な世界へと導く。このような神秘の体験は、17世紀の宗教生活では非常に垂要な要素だったが、ベルニーニの天才的造形力によって、それは20世紀の我々にも伝えられたのである。そしてその意味で、このコルナーロ礼拝堂はベルニーニの最高傑作の一つというばかりでなく、バロックの精神とその表現の最も優れた作例であるということができる。これについて、ラヴァンは次のように記している。「それぞれの世紀から単一のモニュメントを選ぱなければならないとしたら、ほとんどの歴史家は17世紀、つまりバロック時代の代表としてテレサ礼拝堂を選ぶことであろう。この意味でそれは、議論の余地のない時代の傑作として、ジョットのアレーナ礼拝堂、マザッチョのブランカッチ礼拝堂、そしてミケランジェロのシスティナ礼拝堂と同等である、またベルニーニ自身も、「これは一番悪くない作品だ」と述べたといわれる。


024-102
「聖テレサの法悦」S.Teresa Trafitta dall’amor di Dio
1645-52
ベルニーニが1646年にコロナール礼拝堂を全面的に改修した。ここには建築・絵画・彫刻が融合した、豪華でダイナミックな劇場的空間が出現し、これがベルニーニ芸術、ひいてはローマ・バロックの本質である。礼拝堂全体は大理石や漆喰細工、絵画で豪華に装飾されている。中央の祭壇上の大理石彫刻は「聖テレサの法悦」を主題とする。彼女は16世紀スペインの修道女で、天使に槍で心臓を貫かれたという幻視体験で知られている。その著作によると、先端に炎が見える金の槍で刺し貫かれた瞬間、苦しみとともに法悦を味わったという。ベルニーニは官能的なテレサと天使の群像上に金色の光の束を配置し、絵画的な効果を添えた。祭壇両脇の壁面には桟敷席とコロナール家の人々が刻まれ、舞台の観客のようにこの神秘的な光景を見守っている。
ビルデンデン美術館所蔵

ビルデンデン美術館所蔵


ベルニーニは法悦の場面に光を当てるため上部明かり取りの開口を設けたが、壁の奥に隠れて正面からは見えないようになっている。
ベルニーニはまず壁をうがって壁龕を作り、横長の楕円形をしたその壁龕に聖女テレサの法悦を表わした彫刻を納め、これを主祭壇とした。この主祭壇の装飾に、聖女の生涯でも最も至福に充ちた体験を選んだのは、まったくオーソドックスな選択であった。この法悦の体験は、列聖を認めた教書にもとり上げられたからである。反宗教改革の神秘主義的風潮を最もよく体現した聖者であるテレサは、幻視と法悦の体験を『自叙伝』に次のように記している。

私がこの状態にありました時、主はみ心のままに、幾たびか次の幻視を私に賜いました。私は自分のそばに、左のほうに、からだの形を持った一位の天使を見ました。私が天使をこのように見るのはたいへん珍しいことです。彼らは、たびたび現われますが、私は、前の幻視のところで初めに、お話した時のあの様式でしか彼らを見ません。ところが、この幻視において、主は天使をこういう形で私に示すことをお欲みになリました。彼は大きくはなく、むしろ小さかったのですが、たいへん美しく見えました。彼の顔はあまりにも燃えるようでしたので、愛に燃える天使らのなかでも、最も高位のもののように見えました。彼らはたぷんケルビンと呼ぱれる者でありましょうが、自分の名前を私に申しません。しかし天国には、ある天使とほかの天使、この天使とあの天使との間に、あまりにも大きな相違があることがよくわかりますので、私はそれをどう言ってよいかわかりません。さて、私は金の長い矢を手にした天使を見ました。その矢の先に少し火がついていたように思われます。彼は、時々それを私の心臓を通して臓脈にまで刺しこみました。そして矢をぬく時、いっしょに私の臓脈も持ち去ったかのようで、私を神の大いなる愛にすっかり燃え上らせて行きました。痛みは激しく、先に申しましたあのうめき声を私に発しさせました。しかし、この苦しみのもたらす快さはあまりにも強度なので、霊魂は、もうこの苦しみが終わることも欲まなけれぱ、神以下のもので満足することも欲しません。これは肉体的な苦しみではありません。霊的のものです。とはいえ、肉体もいくぶん、時には相当多くさえ、これにあずかります。これは神と霊魂との間のきわめて快い愛の交換で、私は、私の言葉に信をおかぬ人々に、このお恵みを味わわせてくださるよう、主の御憐れみを切願しております。
(東京女子カルメル会訳、第29章13)

エルミタージュ美術館所蔵

エルミタージュ美術館所蔵

ベルニーニは法悦の聖女テレサと黄金の矢を手にした天使を、一片の雲の上にのせて空中に浮遊させている。二人は神秘の力によって漂っているかのようだ。左手の天使は優しい仕草で聖女の衣をつかみ、再び矢を突き刺そうとしている。一方「体は打ちのめされたようになり、手も足も動かせない」法悦の中にいるテレサは、目と口を半開き、自由のきかなくなった手足を投げ出している。まったく驚くべき表現力だ。そしてベルニーニが内面を暗示する手段として探求し続けてきた衣壁は、ここで最高の表現に達し、光と陰の豊かなニュアンスによって聖女の法悦の神秘を一層鮮烈なものにしているのである。ベルニーニはこの聖女テレサの幻視を、現実とも夢ともつかない一つのイリュージョンとして表現しようとした。そしてそのために、彼は隠された窓から光を採り入れ、その一方で彫刻の土台を塗りつぶしている。つまり、そうすることで観る者の目を眩惑し、我々を現実の世界から遊離させようとしているのである。実際この作品は、一体丸彫なのか浮彫なのかさえ、観る者には判然としない。そうした伝統的な概念さえ、ベルニーニはイリュージョンの妨げとして、否定しようとしたように思われる。
 このイリュージョンの発想は彫刻だけでなく、いつものように助手を使ってフレスコ画とストウッコとで装飾させた、礼拝堂にも認められる。ここで意図されているのは、これまで以上に大胆なイリュージョンである。すなわち天井には空が開け、そこから聖霊が下り、また大使をのせた雲が実際の建物のあちらこちらをおおっている。アーチに輪舞するストウッコのプットーや天使も、それがほんとうに浮彫なのか、あるいは丸彫なのか判然としない。実際の建物とストウッコと絵画とが渾然となって、一つのイリュージョンの世界を形成しているのである。

テレサ アビラの、(カルメル会入会後)イエスの 1515~82(10月15日)
L.Theresia Magna. S.Teresa de Jesus,de Avila.
〔伝記〕スペインの神秘的思想家、修遺院改革者。カスティリャのアビラの貴族の第4女として生また。1535年父の許可を得ないで修道院に入り、神秘的な体験を得て信仰を強め、『霊魂の城』(Elcasti11ointerior,1577年)『完徳への道』(Camino de perfeccion,1574年)などにその幻想や脱魂を記す。1562年アビラに建立した修道院は、マリアの夫ヨセフヘ捧げられた。十宇架の聖ファン(1542~91)と協カしてカルメル会の改革を計る。彼女の心臓はアルバ・デ・トルモのカルメル会修遺院に保存されているが、それには天使の投槍による傷あとがあるという。1622年列聖、シエナのカテリナと並んで1970年最初の女性教会博士。心臓病の患者や飾り紐製造者の聖女。教会行政の手腕によって主計官の聖女でもある。
〔図像〕彼女の修道院の建設に対して神の許しがあったという証拠として、マリアとヨセフから白衣と十字架つきの金の首飾り拝領の図は、カルメル会の教会堂にしぱしば見られる。また聖痕を示すキリストの前にひざまずく彼女の幻想場面も17世紀スペイン絵画の主題に現われる。カルメル会の修道衣を着用し、足元に聖書を置く。なお天使が彼女の心臓に火の矢を投げ、頭上には鳩が霊感を示すように舞う。バロック芸術は彼女の宗教的脱魂を好んで表わした。
(例、ベルニーニ《テレサの脱魂》、1645~52年、ローマの聖マりア・デッラ・ヴィットリア聖堂)



024-006コロナーロ礼拝堂の家族の彫刻コロナーロ家の肖像
 このように礼拝堂の正面と天井とがイリュージョンの仕掛けでおおわれたのに対し、左右の壁面には別の新しい試みが見られる。すなわちこの礼拝堂はフェデリーコ・コルナーロの墓所として立案されたものだが、そこには注文主のフェデリーコの他に、ヴェネッイアの総督を務めた彼の父と、一族の者のうち枢機卿に叙せられた者6人が記念されており、その合計8名の人物が左右の壁に4人ずつ、あたかも劇場の桟敷にいる観客のように表現されている点である(桟敷式の劇場は、当時まだローマでは建てられていなかったが、ヴェネッィアではフェデリーコが大司教をしていた時に少なくとも3つ建てられており、流行になりつつあった)。

フォグ美術館所蔵

フォグ美術館所蔵

それぞれの人物は、聖女と天使の方を見やったり、書物を参照したり、互いに論じ合ったりしている。彼らは明らかに聖女テレサの法悦について瞑想し、議論し合っているのである。つまりベルニーニは、聖女テレサの法悦という神秘劇を特別の舞台をしつらえて演出したぱかりか、コルナーロ家の人々をその神秘劇の証人、すなわち心の眼でそのドラマを見る観客として登場させているのだ。これは、まさしく「劇中劇」の発想を転用したものといえよう。


024-008コロナーロ礼拝堂の床024-104

コロナーロ礼拝堂の床  
こうしたさまざまな工夫の他にも、この礼拝堂には注目すべき点がいくつかある。まず、フェデリーコの墓のある床の装飾に、ベルニーニが再び一対の骸骨を登場させているのに気づく。ここでも死は生き生さとした姿で描かれ、一方は希望を、他方は絶望を表現している。