Palazzo di Propaganda Fide
プロパガンダ・フィーデ宮

013-001プロパガンダ・フィーデ宮

ヴァチカンのカトリック布教局であり、1ブロックを完全にしめる大きな建築。教皇グレゴリウス15世が1622年に創設。スペイン広場を通り越したブィーノ通り突きあたりの建物。教皇庁に属する布教聖省の本部で,教皇グレゴリウス15世が1622年に創設,治外法権をもつ。1627年以来,若い宜教師の教育にあたっている。





013-003スペイン広場側のファサードプロパガンダ宮
1644年に、スペイン広場に面し、バルベリーニ家の紋章を戴く煉瓦造りのファサードをベルニーニが設計。1646年に、プロパガンダ通りに面した宮殿の側面をボッロミーニが設計。さらにベルニーニ作の宮殿内の「東方三博士の教会」=マギの礼拝堂 も再建した。この事件は有名。   
この建物は,ベルニーニがスペイン広場側のファサード(1644年)を,ライバルのボッロミーニが側面の設計(1646年)を担当した。さらにボッロミーニは,ベルニーニ作の館内礼拝堂「東方三博士の教会」も再建している。広場の前には,建築家ルイジ・ポレッティ作の記念円柱がそびえる。教皇ピウス9世が1854年に勅書を発して,聖母マリアの出生自体の神性(無原罪の御宿り)を教義として公認したことを記念したもの。    
プロパガンダフィーデ1662年に当時最も勢いを得ていたイエズス会のために建てられた本部で,ボッロミーニの遺作である。イエズス会は奇抜な建物をほしがったが,できあがった正面(いまはぶ厚いすすで覆われている)は,彼らの想像をはるかに越えていたにちがいない。縞模様の幅広のピラスター,内側へ湾曲した2階の窓,外に膨らんだ張り出し窓、おまけに1本の帯が1階と2階を隔絶し、軒蛇腹は内側にへこんでいる。見れば見るほど,不安な気持ちにさせる造りの正面だ。この不幸な建築家は,これを完成させ直後に白殺した。



プロパガンダフィーデ-マギマギの礼拝堂 Cappella dei Re Magi 
ボッロミーニによって改築された礼拝堂。天井がすごくボッロミーニ。
右のアントニオ・バルベリーニの胸像はアルガルディ作、黒い長円柱の台座がボッロミーニのデザイン。
この礼拝堂の中央祭壇右側にある聖パウロの改心という油絵がベルニーニの作とされるが、文献が見当たらない。


013-002聖パウロの改心聖パウロの改心La conversione di San Paolo
油絵 1635年制作