橋の欄干を飾る天使の像
17世紀にクレメンス9世がベルニーニに橋の欄干を飾る天使像のデザインを依頼し、橋は今日見るような形になった。ベルニーニは自身で2体を彫ったが、教皇は原作が傷むのを望まず、これらのコピーを造らせて据えた。この2体はS.アンドレア・デル・フラッテ教会にある。
クレメンス9世が即位したときには、サン・ピエトロ広場の工事はまだ継続中であった。この工事を継続する一方で、教皇がまず手がけたのはサン・タンジェロ橋の整備とその装飾である。サン・タンジェロ橋は当時ヴァチカンと市中を結ぶ唯一の橋だった。したがって各地からローマにやってきた巡礼者は、土産物屋やロザリオ屋が軒を並べるコロナーリ通り(コロナーリとはロザリォ屋の意、この通りは今日骨董屋街として有名である)を通って、このサン・タンジェロ橋を渡り、それからボルゴ地区を抜けてサン・ピェトロに詣でるのを常とした。もともとハドリアヌス帝の廟(後に要塞となリ、カステル・サンタンジェロ、すなわち聖天使城と呼ぱれる)に通ずるポンテ・エリオに由来するこの橋は、1536年にカール5世がローマを訪れた際にストウッコの彫刻で装飾されたことがあった。しかしクレメンス9世が即位した当時は、橋の入口に1534年に置かれた無愛想な聖パウロと聖ペテロの像があるきりで、他の装飾はなかった。そこでクレメンス9世は、この橋をその名にふさわしく天使で飾り、その天使にキリストの受難を表わす持物を持たせて、この橋を「受難の道」にしよう、そうすれぱそれは聖ペテロの墓と司教座への巡礼のよき導入部となるにちがいない、と考えたのである。
