Ponte Sant’Angelo
サンタンジェロ橋

047-100




橋の欄干を飾る天使の像
17世紀にクレメンス9世がベルニーニに橋の欄干を飾る天使像のデザインを依頼し、橋は今日見るような形になった。ベルニーニは自身で2体を彫ったが、教皇は原作が傷むのを望まず、これらのコピーを造らせて据えた。この2体はS.アンドレア・デル・フラッテ教会にある。
015-003茨の冠を持つ天使015-002INRIの銘を持つ天使


047-002天使の像(コロンナ)047-003サンタンジェロ橋の天使(INRI)047-004天使の像(槍)047-005天使の像(茨)047-006サンタンジェロの天使(布)


クレメンス9世が即位したときには、サン・ピエトロ広場の工事はまだ継続中であった。この工事を継続する一方で、教皇がまず手がけたのはサン・タンジェロ橋の整備とその装飾である。サン・タンジェロ橋は当時ヴァチカンと市中を結ぶ唯一の橋だった。したがって各地からローマにやってきた巡礼者は、土産物屋やロザリオ屋が軒を並べるコロナーリ通り(コロナーリとはロザリォ屋の意、この通りは今日骨董屋街として有名である)を通って、このサン・タンジェロ橋を渡り、それからボルゴ地区を抜けてサン・ピェトロに詣でるのを常とした。もともとハドリアヌス帝の廟(後に要塞となリ、カステル・サンタンジェロ、すなわち聖天使城と呼ぱれる)に通ずるポンテ・エリオに由来するこの橋は、1536年にカール5世がローマを訪れた際にストウッコの彫刻で装飾されたことがあった。しかしクレメンス9世が即位した当時は、橋の入口に1534年に置かれた無愛想な聖パウロと聖ペテロの像があるきりで、他の装飾はなかった。そこでクレメンス9世は、この橋をその名にふさわしく天使で飾り、その天使にキリストの受難を表わす持物を持たせて、この橋を「受難の道」にしよう、そうすれぱそれは聖ペテロの墓と司教座への巡礼のよき導入部となるにちがいない、と考えたのである。

:ビルデンデン美術館所蔵

:ビルデンデン美術館所蔵

このサン・タンジェロ橋を飾る天使像は、都合10体制作されることになった。ベルニーニはこの制作全体を統轄するとともに、10体のうち2体を自ら制作し、残りの8体は当時ローマで活躍していた8人の彫刻家に委任することになる。天使はそれぞれ柱、笞、いぱらの王冠、聖顔布、聖衣とサイコロ、釘、十字架、INRIの銘、海綿、そして槍という受難を表わす持物を手にしている。これらのうちべルニーニが制作したのは、INRIの銘をもつ天使といぱらの王冠をもつ天使であった。しかしこの二つの天使像は、結局橋の上には置かれずに終ってしまう。というのは、おそらくまだ完成しないうちと思われるが、ベルニーニの仕事場にこの作品を見に訪れた教皇が、風雨にさらすのは忍びないとして、コピーをもってこれに替えさせたからである。したがって、今日橋の上にある像は弟子の手に成るコピーである。けれども、少しでも自分自身の仕事を残そうと考えたベルニーニは、二つのうち銘をもつ天使の方のコピーを自ら制作した、と伝記作者は伝えている。実際、この像は単なるコピーに終わることなく、全体といい、恍惚とした顔の表情といい、他の像をはるかに凌駕する出来映えを示している。これらサン・タンジェロ橋の天使たちは、人々が橋を渡りながら像を見上げることを想定して制作された。したがって、ベルニーニの他の彫刻作品とは連って、特定の視点は設定されていない。それらの像は歩くにつれて微妙かつダイナミックに変貌し、しかも柱廊の聖人像と同じ様に青空によく映えるように考えられている。また制作に際して下から見上けた時の効果が考慮されたことは、たとえぱ天使がもつ柱が円柱ではなく円錐形になっている点によく現われているといえよう。このようなサン・タンジェロ橋の装飾は、作品とその環境に対するべルニーニの非凡な感覚、今日流に言えば「環境芸術家」としての才能。をもう一度確認させてくれるのである。

パラピッチーニ・ギャラリー所蔵

パラピッチーニ・ギャラリー所蔵

098-001サンタンジェロ橋メダル