8:30~19:30
日9:00~18:00
祝9:00~13:00
列柱の上にマルクス・ヴェスパシアヌス・アグリッパが建てたと刻まれているが、実際にはアグリッパの造ったパンテオン(前27年)は80年に火災で焼失し、現在の物は118年にハドリアヌス帝が建て直したものである。
17世紀にベルニーニがパンテオンのペディメントに乗せた二つの鐘塔を、パスクィーノは「ベルニーニのロバの耳」と呼んだ。1883年鐘塔は撤去された。


クーポラの装飾の構想案
1667頃
ベルニーニは教皇の命を受けて1657年以降、パンテオンに付加された後世の遣物を除去し、同時に広場を整備するプランに従事していた。このプランは締局実現されずに終るが、彼がいかにパンテオンを崇拝していたかは、パリで教皇の大使に語った次の言葉によく現われている。「最も完壁な形は円や方形や六角形、そして八角形などである。サン・ピエトロのドームは確かに美しく、古代の作品にも見出せないものである。しかしサン・ピェトロには100の欠陥があるが、ロトンダ(パンテオン、ロトンダとは円形の建物の意)にはそれがまったくない。ベルニーニはここで円と正多角形を特別視するルネッサンス的美学を繰り返し、それによって彼が3つの教会建設に集中式プランを用いた理由を間接的に説明しているわけである。彼は共和政時代のパンテオンはより英雄的な簡素さをもっていたと信じていた、といわれる。新古典主義時代になるとパンテオンを模した教会が各地に建てられるようになるが、その前例をバロックの帝王ベルニーニに見出すのは、意外の念を禁じえないであろう。しかも彼は、おそらく実際のパンテオンについて彼が立てたプランに基づいて、教会の周囲をも然るべく整えて、その偉大さを一層完全な姿で見せようとしていたのである。
BERNINI p142