9:00~12:00、16:30~19:30
遺跡見学は、毎月最終土曜。
5世紀創建の教会で、ローマの貴婦人ルチーナが殉教者の供養をするために屋敷を提供して建てられたと伝えられる。12世紀始めに教皇パスカリ2世が再建し、柱廊玄関と鐘塔は今も残っている。その後1650年にコジモ・ファンツァーゴにより全面的な改築が行われ、側面の礼拝堂が加わった。金箔を張った格子天井は教皇ピウス9世が修復。1660年代前半にベルニーニがフォンセカ礼拝堂を設計する。主祭壇は1675年のカルロ・ライナルディ設計で、グイード・レーニ作の「磔刑図」がある。画家ニコラ・プーサンの胸像はルモワーヌの作で、シャトーブリアンがプーサンの墓を建てた。
8か9か、記憶が定かではない。
1.フォンセカ礼拝堂の設計装飾Cappella Fonseca
ポルトガル人でイノケンティウス10世の外科医だったこの人物の肖像を、フォンセカ礼拝堂の装飾の一部として制作した。礼拝堂はベルニーニの設計によって1660年代の前半に装飾されたが、肖像だけはずっと後になるまで完成しなかった。1668年に世を去ったフォンセカの生前にデッサンなどの準備がされたことは確かだが、大理石にかかってからなかなか進まなかったらしい。墓の記念像として壁に付けられたこのフォンセカの肖像は、祭壇の方を見つめ、左手を胸に当てて、右手でロザリオを握りしめるという礼拝の姿で表されている。それは切実な、全霊を込めた祈りの姿である。ベルニーニは自らモデルと同じポーズをとり、あたかも自分がデッサンされているように感じることによって肖像に表情を与える、と語ったと伝えられるが、このフォンセカのポーズをベルニーニが自らとって、そのイメージに感情移入しようとする姿を想像することは容易であろう。そしてその時込み上げたであろう神への渇望を、彼はロザリオを握りしめる手に託したように見える。ルドヴィーカの像でも手は重要な役割を担っていたが、この肖像ではそれより直接的にモデルの内面を表現する手段となっているのだ。ベルニーニ晩年の肖像の特徴を端的に示すこの作品は、フォンセカという人物の存在感や人間性よりも、祈りという行為そのものを強く印象づけられる。しかもそこには、晩年のベルニーニの境地がにじみ出て、深い精神性があらわれている。先に述べたように、肖像彫刻はベルニーニがとりわけ得意とし、特別の愛着を抱いた分野であった。このフォンセカの肖像は、この分野におけるベルニーニの長く、そして実り豊かな制作活動を締めくくるにふさわしい充実した作品だといえよう。
ガブリエーレ・フォンセカの肖像 Gabriele Fonseca
1668-73
礼拝堂、左手。
逆版のカードもある。右図が正解。