Palazzo Doria-Pamphilij
ドーリア・パンフィーリ美術館

035-1009:00~19:00
無休 11€。 ガイド付き住居見学あり(不要)、1Fにカフェあり。

15世紀に創建され、デッラ・ローヴェレ(Della Rovere)家、アルドブランディーニ(Aldobrandini)家を経て、現在はドーリア・パンフィーリ家の所有となっている。

ウルバヌス8世の後継者を決める教皇選挙は、56人の枢機卿が参加して1644年8月9日に始まった。意にそう教皇を選出しようと決死の覚悟を決めたフランチェスコ・バルベリーニは、まず遺書を書き、さらに長期戦に備えて本その他を運ぱせて教皇選挙に臨んだといわれる。教皇が亡くなった後の甥ほど困難で危うい存在はない、と当時よくいわれた。フランチェスコ・バルベリーニにとって連命の別れ目ともなるこの教皇送挙は、終始荒れ模様で、そのためローマ市中はたびたび混乱に陥った。が、結局バルベリーニ枢機卿の意図は思うにまかせず、36日間に及ぶ虚々実々のかけひきの末、次の教皇はパンフィーリ家から選出された。71歳のジャン・バッティスタ・パンフィーリが、イノケンティウス10世として即位したのである。「しかしパンフィーリが教皇だと聞くと、人々は拍子抜けし、大きなお祭騒ぎはしなかった。彼は厳格な人で、あまり自由寛大ではないと思われていたからである」とジルリはこれに対する人々の反応を伝えている。イノケンティウス10世は即位すると反バルベリーニ色を鮮明にし、ウルバヌス8世時代の会計を厳しく追及し始める。このためバルベリーニ家の人々は、一時フランスへの亡命を余儀なくされることになった。
イノケンティウス10世は、ウルバヌス8世とは対照的に学間・芸術にはさほど興味を示さなかった。「この教皇イノケンティウスは文芸、詩人や修辞家に友好的ではない」とジルリも述べている。パンフィーリ家はもともとウンブリア地方の出身だが、15世紀以降はローマに定住し、ジャンバッティスタもローマで育った。彼のようなローマ人があまり知的でなく学間・芸術にも関心が薄かったことは、よく指摘されるところである。そのうえ、教皇庁の財政難は余計な出費を許さない。今やウルバヌス8世時代のような文化の繁栄は望めないことを、誰しもが悟らざるをえなかった。「今の教皇庁のもとでローマの状況は大きく変わり、もはや我々は教皇庁で特別の好意を亨受することはなくなった」と1645年の夏に、ニコラ・プサンは彼の重要なパトロンだったパリのシャントルーに書き送っている。
教皇は即位すると、ナヴォナ広場に面した自家のパラッッォの拡張・整備と、1650年の聖年祭をひかえて傷みがひどいので間題になっていたサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノの改築を手がけた。前者の仕事には74四歳のジロラモ・ライナルディが、後者にはベルニーニのライヴァル、ランチェスコ・ボルロミーニが起用されている。さらに肖像などの彫刻作品には、当時ベルニーニに次ぐ彫刻家だったアレッサンドロ・アルガルディが用いられた。ウルバヌス8世の寵児だったベルニーニは、教皇の反バルベリーニ感情のあおりを受けて、完全に第一線から遠ざけられてしまう。彼にかろうじて残されたのは、サン・ピエトロの建築家の地位であり、聖年祭に備えてサン・ピエトロ内部の装飾の仕上げをしているが、重要な仕事はすべてラウヴァル立ちに奪われてしまった。
その後、パンフィーリ家のパラッツォがあるナヴォーナ広場の噴水「四大河の噴水」の製作を機会に、イノケンティウス10世はこれまでの処遇に遺憾の言葉を述べて噴水の制作を命じ、ベルニーニはようやく第一線に復帰することとなる。



035-110


「イノケンティウス10世」の胸像 壊れたほう
Busto di InnocenzoⅩ
035-006ドリアパンフィーリ3035-007ドリアパンフィーリ4




035-001イノケンティウス10世の胸像「イノケンティウス10世」の胸像
Busto di InnocenzoⅩ
A.アルガルディ作のもあるので間違えないように
再起したベルニーニを、イノケンティウス10世は毎週のように招いて、数時間歓談するのを常とした、と伝記作者は伝えている。教呈は「四つの河の泉》に続いて、ナヴォナ広場のいわゆる《モーロの泉》の改造やサンタ・フランチェスカ・ロマーナの修復、そして実現は見なかったが、コンスタンティヌス帝の像の制作などをベルニーニに依頼した。またこの他に、ベルニーニは教皇の肖像も制作している。この教皇の肖像は二点残っており、両者は大きさ、外観ともまったく同じだが、一方のあごのところにひびが入っている。おそらくシピオーネ・ボルゲーゼの肖像の時のように、大理石のひびが発見されて、同じも035-008ドリアパンフィーリ5のを作り直したのであろう。だが今日ドーリア・パンフィーリ画廊にあるそれらの肖像は、シピオーネ・ボルゲーゼのそれとは違って、イノケティウス10世の人間的、側面よりも、教皇としての精神性に重きが置かれているように見える。なかなか優れた出来映えの作品だが、ベルニーニの人間的感情の反映があまり感じられないのである。それは一つには、ベルニーニがこの教皇に対して本心から親愛の情を抱かなかったからであろう。しかしそれ以上に、肖像というものに対する彼の考え方が少しずつ変ったことを暗示しているように思われる。すなわちベルニーニは年をとるに従って、次第により崇高なものを、つまり宗教的作品の場合はその神秘性を、そして肖像などの場合はその精神性と地位にふさわしい姿とを追求するようになるのである。現にイノケンティウス10世の像は、もはや単なるレアルで生き生きとした肖像ではなくなっている。




Velvet Room
035-004ドリアパンフィーリ1ALGARDI作
Busto di InnocenzoⅩ