Basilica di Santa Maria Maggiore
サンタ・マリア・マッジョーレ教会

028-101028-1009:00~18:50(12:30~16:30は礼拝堂は閉館かもしれない)
無休

S.ピエトロ、S.ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ、S.パオロ・フオーリ・レ・ムーラとともにローマの4大聖堂の一つで、敷き地はヴァティカン市国に属している。431年エフェソスの公会議で「聖母信仰」を公認したのを記念して、法皇シクストゥス3世が建立を命じた。
たび重なる修復や改築で、15世紀の鐘楼、18世紀のファサード(正面)、バロック様式のアプシス(後陣)、13世紀のモザイク、と部分によってできた時代も様式も様々だが全体としてのバランスをよく保っている。内部はクラッシックなバジリカ様式を残し、類まれな調和と荘厳さに満ちている。





所蔵不明

所蔵不明

後陣の改修 
クレメンス9世の短い治世の間に、サンタ・マリア・マッジョーレの後陣を拡張して、そこに教皇の廟を作るという企画も検討された。このためにベルニーニはいくつかのプランを立てて教皇と協議しているが、幸か不幸か、この企画は教皇の死によって中止されてしまう。
クレメンス9世の写真集に詳しくp278


028-005S.M.マジョーレ教会の後陣338-01SMマジョーレの改修案



028-012SMマジョーレ見取り図2.ポーチ
6.スフォルツア礼拝堂 Sforza chapel
7.ボルゲーゼ礼拝堂 Borghese chapel
 (パオリーナ礼拝堂)
8.ベルニーニの墓
10.システィーナ礼拝堂 Sistine chapel
12.洗礼堂 battistero
16.教会美術館


028-103内部
中央廊は36本の大理石の柱で仕切られ列注上部の5世紀のモザイクは、身廊の前方端祭壇上方のアーチに描かれたモザイクとともに同教会の貴重な宝だ。一方、アプシスのモザイクば13世紀末の、当時ローマで名高かったヤコポ・トッリティの作で、ビザンチン様式を離れ、より優美で色彩に満ちたローマ・モザイクの代表作の一つといってよい。モザイクの下のレリーフはルネッサンス時代のものである。主祭壇はフェルディナンド・フーガ作の天蓋で覆われ、祭壇下には同教会の最も貴重な聖遺物、キリスト誕生の際の、かいば桶の木片が収められている。


028-1042.ポーチ
入って右手にあるのは、バジリカの後援者であるスペイン人のフィリッポⅣ世の像である。
この部分の図面 ジローラモ・LUCENTIの彫刻 13世紀
これは、ベルニーニが設計し、13世紀に ことの顛末が不明。
028-010スペイン人の墓「スペイン人の墓の構想案」
これのことだろうか?
所蔵不明




028-1076.スフォルツァ礼拝堂 Chapel Sforza
また同じく左側廊のスフォルツァ礼拝堂はジャコモ・デッラ・ボルタの作だが、もとの設計はミケランジェロが手掛けたと言われる。




Santa Maria Maggiore-Sforza Chapel by Michelangelo7.ボルゲーゼ礼拝堂 パオリーナ礼拝堂 Chapel Borghese
システィーナ礼拝堂の向かい、左側の側廊にはパオリーナ礼拝堂がある。1606年、フラミニオ・ボンツォがパオロ・V.ボルゲーゼの注文に応じて作ったものだ。貴石で飾られた見事な祭壇と共に、16世紀のグイド・レーニのフレスコ画も見逃せない。祭壇の「聖母子像」は11世紀頃のものと思われる。


028-007クレメンス7世の即位式クレメンス7世の即位式Incoronazione di Clemente Ⅶ
1611 ピエトロの作
礼拝堂、入って右の壁がこの作品。
S.M.マジョーレのパンフレットでは、クレメンスⅧ となっている。
どっちだ?

左は、パオロ5世のモニュメント。

028-109028-108



028-013SMマジョーレ墓28.ベルニーニ家の墓Tomb 
主祭壇右床  
1680年11月28日、82歳の誕生日まで後9日であった。15日間病の床につき、最後に教皇の特使から教皇の祝福を受けて、9人の子供(5人の娘、4人の息子、うち一人は、S.M.マジョーレの聖職者であった)に見守られて息をひきとる。彼の遺体はサンタ・マリア・マッジョーレに安置され、多くの人々の告別の訪問を受けてから、同教会の一族の墓に納められた。この一族の墓は今日も教会に残るが、ベルニーニ個人の墓碑はない。028-012SMマジョーレ墓1主祭檀右側の、手すりのすぐ外側の床には、簡潔なデザインの大理石の墓石がはめ込まれていて、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)の名前がラテン語で記されている。バロック最大の芸術家ベルニーニの墓は、意外なほどシンプルだ。
「高貴なベルニーニ家の復活を待つ」




028-11010.システィーナ礼拝堂
主祭壇寄りの右側廊には、ドメニコ・フォンターナか教皇シクストゥス5世のために造ったシスティーナ札拝堂(1585年)がある。金色の小さな聖堂の形をした聖体用祭檀の下には、「聖霊降誕の小礼拝堂」があるのだが、これは13世紀にアルノルフォ・ディ・カンビオが新しくし、元は別の所にあったのをフォンターナがここに持ってきたのである。




12.洗礼堂 battistero028-106
 

 
028-008聖母被昇天 「聖母被昇天」Assunta
ピエトロの作 1610
洗礼堂のまっすぐ奥の壁にある。
聖女を天に導くプットーの部分にベルニーニが手を入れた




場所不明
028-014墓の紋章Tomba di Assalonne Rospigliosi
1665


パピの間 Salone dei Papi028-111
場所が不明、洗礼堂の右か?側廊2Fか? 
 

 

S.M.マジョーレ所蔵

S.M.マジョーレ所蔵

 「パオロ5世の胸像」Busto di PaoloⅤ Borghese
未確認




028-011パウロ5世のカタファルコパウロ5世のカタファルコ 
1622年に行われたパウロ5世の葬儀の様子。
ベルニーニが彫刻と建築を一体にした初めての作品。左下に立つ一群の中に、騎士の胸飾りと儀式用の剣をつけたベルニーニの姿が見える。
簡便な素材で、たった40日で建設されたこの作品は、16体の美徳像と20体の天使像で飾られていた。
所蔵不明


028マッティのカタファルコMuzio Matteiのカタファルコ
1668年
Gabinetto Comunale delle Stampe
所蔵不明


028ヴィラのカタファルコFeancesco Villaのカタファルコ
1669年
Gabinetto Comunale delle Stampe
所蔵不明