Chiesa di Santa Bibiana
サンタ・ビビアーナ教会

026-1007:30~11:00、17:00~19:30

026-101設計建築 
1624年 最初の作品
創建は5世紀だが、1624年に主祭壇の下から聖女ビビアーナと両親、妹の遺骸が発見され、教皇ウルバヌス8世は教会再建を決意、ベルニーニによって建て直された。これは建築家としてのベルニーニ最初の作品。宮殿風ながら、二階中央に小祠(エディキュラ)を配し、中央部分の垂直性を強調するなど、バロック的性格は控え目ながら達成されている。
ベルニーニが建築家として最初に手がけたのは、つつましい仕事であった。当時サンタ・ビビアーナという古い小さな教会の修復が行われていたが、1624年3月2日の作業中に、主祭壇の下から二つの大きなガラスの壷に収められた聖女の遺体が発見された。これを機に教会は全面的に改築されることになリ、ファサードと祭壇の建設がベルニーニに任されたのである。今日この小さな教会は、線路際のうらぷれた一画にとリ残され、一部の専門家以外には訪れる人もほとんどない。しかしベルニーニの最初の建築作品であるファサードと、最初の本格的宗教彫刻である《聖女ビビアーナ》、そしてピエトロ・ダ・コルトーナの最初の重要な壁画を擁するこの教会は、いわぱ盛期バロックが産声をあげた場所であり、バロック美術史上忘れることのできない遺品である。
 さて、このベルニーニの手に成るファサードは二層から成っており、3つのアーチを持つロッジャの上に宮殿風の上部がのる形になっている。こうした形式は、シピオーネ・ボルゲーゼが建築家のフランミニオ・ポンッィオに修復させた、サン・セバスティァーノのファサード(1612年)などに前例がある。たが両者を比ベると、サンタ・ビビアーナの方が宮殿風の性格が顕著で、教会のファサードとしては個性的なことが分かる。ベルニーニは教会の規模が小さいことと、特別の祭日に聖遺物を開帳する窓を設ける必要がある点を考慮して、通常のファサードの形をとらずに、一風変わった形式を用いたのであろう。そしてその際、上層に壁龕を配するという新しいアイディアを採用することによって、集中感をもたせながら全体をうまくまとめているのである。だがこのファサードを見てまず気づくのは、ベルニーニという名前から予想されるのとは裏腹に、非常に簡素だということであろう。ベルニーニの建築は、そのバロック的効果が頂点に達した時でさえ、この単純さ、簡素さを失うことはないのである。
だが、このファサードよりもさらに重要なのは、主祭壇を飾る《聖女ビビアーナ》である。




026-002S.ビビアーナ教会の主祭壇主祭壇
ベルニーニがこの作品で試みている重要なことがらが二つある。一つは、すでに《ネプテューンとトリトン》でも触れたことだが、彫刻とそれが置かれる場所とを一体のものと考える、つまり置かれる場所をも作品の一部とみなす、という発想である。彼はこの聖女の像をアーチの奥に設けた壁龕に入れているが、それら各部の大きさを充分考慮し、身廊部から見たときに全体のバランスがとれるよう細心の注意を払っている。またこの壁龕に暗い色彩を与えて像を浮き立たせると同時に、大アーチと壁龕のアーチとの繰り返しによって、全体の統一感と絵画的効果が強まるよう工夫している。一方聖女は天を仰いで父なる神を呼ばわっているわけであるが、まさしくその父なる神をアーチの天井にフレスコで描かせ、殉教というこの神秘的ドラマの説明としているのである。こうした工夫によって、ベルニーニは表現しようとする彫刻の内容を視覚的に一層明らかにし、同時に彫刻の置かれている空間全体を意義づけようとしているのである。
 ベルニーニが試みている第二の点は、隠された光源からの彩光である。アーチの天井を見ると、父なる神を描いたトンドの両脇に方形の額が切ってあるのに気づく。そのうち向って右側の額には天使たちが描かれているが、左側のそれは明り取りの窓になっている。つまりベルニーニは、この彫刻に左上からの光を当てようとしたのだ。いうまでもなく、光は彫刻にとって非常に重要な要素である。平面に色彩をもって描かれる絵画と違って、彫刻、とりわけ大理石彫刻は極言すれぱ光と陰、そのニュアンスに他ならないからだ。同じ彫刻でも光の具合によって、いかに異なった印象を与えるかは言うまでもあるまい。彫刻の効果を重んじたベルニーニが、彩光をも作品の一部と見なしたのはむしろ当然のことといえよう。この《聖女ビビアーナ》の場合は、祭壇の上部からも光が入るので、ベルニーニの光の支配は不完全である。けれども、観る者がそれと気づかない光源を設けて彫刻の効果を高めようとする、ベルニーニの最初の試みとして、この作品は画期的だというべきであろう。このように彫刻の置かれる場所や彩光をも彫刻作品の一部とみなすという総合的視覚芸術の発想は、さざまな可能性を追求することになる。

026-102聖ビビアーナの像
ファサードと主祭壇がベルニーニの構想で、主祭壇上の彫刻「S.ビビアーナ」は、彼の宗教彫刻の大作でも,裸体ではなく着衣像を制作したことでも最初のものである。
 聖女ビビアーナは4世紀に、柱につながれ、鉛のついた笞で打たれて殉教したと伝えられる。そこで殉教を表わすシユロと柱がこの聖女の最も一般的な持物とされ、ベルニーニもこの像を制作するのにこれらを添えて構想している。この作品は1624年から26年にかけて制作されているので、《アポロとダネ》に仕上げののみをふるっていた時期と重なると思われる。しかしここには、ボルゲーゼの作品のような躍動する動きや劇的な表現は見られない。聖女は右手を軽く上げ、顔を左にかしげて天を仰ぎ、何か言葉を発しているように見える。そして天に向かう心を表わすかのように全体に軽い上昇感があり、聖女の顔も手も、そして体も、甘美て至福に充ちている。これはすなわち殉教の瞬間を捉えたものであろう。つまりベルニーニはこの作品で、ボルゲーゼの彫刻のように実際の行為として捉えるのてはなく、心理的・神秘的ドラマとして殉教の瞬間を捉えようとしたのだ。その結果、彼は17世紀の宗教感情を代弁する聖女のイメージを創り出すことになったのである。なぜなら、官能性と神秘性とを合わせもつこの《聖女ビビアーナ》のイメージは、まさしく反宗教改革で鼓吹された宗教的献身のイメージに他ならないからである。それゆえ、ベルニーニが創造したこの聖女のイメージは、この後100年以上にわたってカトリック世界に流布することになった。たとえぱ、甘美な聖母像で知られるスペインのムリリョの聖母とこのべルニーニの作品を比較すると、それらが驚くほど類似しているのに気づかざるをえない。
 一方、彫刻の手法の点からいえぱ、この《聖女ビビアーナ》は、切れ味のよい、優れたヘレニスム彫刻を聖女の像に変身させたならぱこんな風になるのだろう、という印象を与える。その点では、確かにボルゲーゼの作品の延長上にあり、ここでも古代彫刻の研究が基礎となっているのが分かる。しかし表現しようとする内容が変化するのに従って、その手法も次第に古代、そしてルネッサンスから遠ざかってゆくのである。たとえぱ、この作品で最も印象的なものの一つである衣襞を見ると、古代の作品を範としていることは歴然としていても、それは古代やルネッサンスの彫刻のように人体のヴォリュームや実在感を示すためのものではなく、聖女の神秘性や至福、そして上昇感といったものを生むように意図されているのが分かるのである。ベルニーニはこの作品で初めて着衣の人物像を制作したのだが、この後衣襞はその人物の内面を表わす重要な手段になってゆく。

ビビアナ ローマの 4世紀(12月2日)L. Bibiana, Viviana
〔伝記〕ローマの聖女。ユリアヌス帝の治下、異教の偶像への供犠を拒んだため、妹のデメトリアとともに柱に縛られ、鉛のついた革紐で打たれ、短剣で刺殺された。5世紀にはエスクィリーノ丘上に彼女に捧げた教会堂が建てられ、1625年にはベルニーニが再建。
〔図像〕笞刑の道具である柱と鞭を持物とする。

ベルニーニが建築分野に手を染めた最初の作品である。重ね合わせた柱形と奥行きの深いアーチが、いちだんとすっきりしたデザインをつくり出している。この教会は聖女ビビァーナの一族所有の屋敷跡に建てられた。ビビアーナは、ユリアヌス帝の統治時代(361-363)のキリスト教徒迫害によってムチ打ちの刑で殺され、ここに埋葬された。入ってすぐのところに、ムチ打たれたさいに彼女が寄りかかったという小さな円柱がある。彼女の遺体は、やはり殉教した彼女の母親ダフローザと妹のデメトゥリアの遺体とともに、祭壇下の雪花石膏の壷のなかに納められている。祭壇上の壁龕に納まっているのは、ベルニーニ作の聖ビビアーナ像で、衣服を着けた像としては、ベルニーニ最初の作品である。彼女は、いまにも気を失いそうな様子をしている。