1452年にニコラウス5世は、コンスタンティヌス帝が320年頃に建てた,初の聖堂を建て直すと決めた。しかし実際の工事は,1506年にユリウス2世の下でブラマンテの設計で始められた。ブラマンテの後に,ラッファエッロ,バルダッサッレ・ペルッツィBaldassarre Peruzzi,およびアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネAntonio da Sangallo il Giovaneが設計を継承し,長い間ギリシャ十字式設計(十字の縦横の長さが等しい)となるのかラテン十字式設計(十字の縦の方が長い)とするのか定まらなかった。1546年以降はミケランジェロに設計が委託され,ギリシャ十字設計で高部にはクーポラを造り,広場の中央に置かれた大聖堂が設計された。彼のあと,設計はヴィニョーラVignola、ピッロ・リゴリオPirro Ligorio,ジャコモ・デッラ・ポルタ Giacomo della Porta,および,ドメニコ・フオンターナDomenico Fontanaに受け継がれた。1607年、パウルス5世の命で,力ルロ・マデルノはラテン十字に戻すことにし,教会の前方の袖を延ばし,内部に脇の3礼拝堂を加えた。さらにマデルノは,フアサードも制作した。
1626年11月18日,ウルバヌス8世がこの大聖堂を献堂した。 NTTガイド p195
ヴァチカンにおいてベルニーニは次のように加わっていく。
1624年、ウルバヌス8世に命じられてバルダッキーノの制作を始めたのが最初で、1629年にカルロ・マデルノが死去したため、サン・ピエトロの主任建築士となり、ファサードの改築と大聖堂内部全体の構成、装飾をも任される。
大聖堂内部バルダッキーノ制作
〃 聖ロンギヌスらの柱の装飾
私の子羊を飼いなさい
ウルバヌス8世の記念碑
マティルダの墓
ファサードの改築(鐘楼案)
1644年にウルバヌス8世が死去しイノケンティウス10世が教皇になると、ベルニーニはヴァチカンから遠ざけられ、ボッロミーニがその地位につく。
1656年にアレクサンデル7世が教皇になると再びヴァチカンはベルニーニのもとになり、改めて広場の建設と教皇宮殿の整備改築を担うことになる。
コロンナートの制作
教皇宮殿の改築
大聖堂内部玉座の祭壇制作
1673年にクレメンス10世が教皇になっても引き続きベルニーニはヴァチカンの主であり、新たにサクラメント礼拝堂のチボーリオの制作を含む装飾を任される。
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